家が整備工場という劣等感から、立派な企業にしたいという夢を持つ
K 社は近畿地方で軽自動車を中心とした自動車販売店・整備工場を営む地域一番企業である。しかし、現在に至るまでは事業継承において紆余曲折が多数あった。
人口の少ない街で、整備工場を営むK 社の家に生まれた現社長(40 歳代)は、子供の頃から劣等感を持っていた。小学校の同級生は大企業のサラリーマン、公務員などスーツを着て働く父親に憧れを持ち、つなぎを着て働く父親を恥ずかしいと感じた時期があった。
しかし、会長が昔から言っていた「下請けの仕事はしない」「目の前のお金よりもお客様を握らなければならない」という考えた方にも共感し、成長していくにつれ自社をもっと誇れる企業に成長させたい、父親に誇られる息子に成長したいという夢を描いていた。
現状維持を目指す親と、事業拡大を目指す息子の闘い
現会長(父親・60 歳代)が整備工場として創業し経営を続けていたが、会長は無借金経営で、万が一のことが起きても、自社を清算すればお金が残る経営を心がけていた。そして、自身が60 歳の時にそのまま息子が事業継承をしてくれれば理想的な引退ができると考えていた。しかし、現社長(息子・40 歳代)は、大学中退後独立しネットワークビジネスを中心に事業を営んでいたが、企業を大きくする上で父親の自動車関連事業を継承し、事業拡大を図ること、そして自分が生まれ育った企業を守り抜くことを目指していた。
その後、社長を中心として自動車販売事業が好調に展開していたことと、会長を中心とした整備事業が堅調に推移していたこともあり、両者のプライドの衝突が起き始めた。事業継承前から意見の相違が常にあり、会議の日には会長が途中退出をしたりと、会社内で公然とした対立構造が生まれてしまっていた。
大きな対立を繰り返す日々を過ごしながらも、会長と社長の意見が一致することは「自社を潰さないこと」であった。しかし、リスクを背負い投資を行い、事業を拡大するためのチャレンジを行う社長と、そのリスクが会社を潰すことに繋がってしまうと考えていた会長の意見の対立は埋まることが無かった。そして、社長は少しずつ自身の事業の仲間を集めていた。事業が順調な中、メンバーは集まり、社長はメンバー内で常に夢を語り、やりたいことをどのように実行しきるかを話し合い成長させ、会長にも伝え続けていた。このように、親子間で事業継承前後で大きな対立をしてしまう企業は多いのではないだろうか。我々のお付き合い先でも事業継承の問題は非常に多く見られる。
お互いに権力にしがみつくという場合もあるかもしれないが、根本は企業を存続・成長させたいという意志があるという事だけは間違いのない事実ではないだろうか。次はK 社の事業継承前後の話をしたいと思う。