どんなにフラフラした息子でも役が人を育てる
今回は、前回に引き続き事業継承の成功事例として、中部地方F社の事業継承途中について後継者(現社長)視点を中心にご紹介する。
F社の現社長も20 歳前後の頃は、整備専門学校を中退し、会長から「フラフラするなら帰って来い」と言われ、洗車アルバイトスタッフとして入社した。洗車をしながら軽整備を手伝っていたが、入社当時は遊び8:仕事2 の状況だった。その後営業に異動したが、理由のひとつはスーツを着て格好良く仕事をしたいというものだったが、中古車販売を経験していくことで、自動車業界の魅力に気づいたことと、父と2 人で営業をしていたことで、自分が頑張らなければという意識の変化が起きた。
さらに25 歳で結婚し、その半年後に事業継承を会長から言い渡される。会長が社長に事業継承を伝えたのは就任1 ヶ月前。会長に既成事実を作られたものだったが、ここで大きな重責を担うことによりさらに意識の変化が起きた。しかし就任直後はやっと遊び5:仕事5 になったレベルのため、息子(社長)の会社の舵取りに対し、会長は毎日イライラの日々だった。
事業継承後は一切の口出しをしないことが成功の秘訣
そこで会長が意識されていたことを紹介する。会長の座右の銘が「助けたいなら、助けない」という言葉で、事業継承直後、特に意識をされた一つ目は息子(社長)を決して助けないということである。事業継承をしてから、会長が正しい答えを持っていても、助言や口出しを一切しなかったと言う。譲り渡す際に最も大事なことだそうである。社長へ役を譲り渡したことで、今の結果がある。実際に社長も努力し、軽自動車販売の業態にチャレンジし、現在成功されている。
しかし、業態を新たにしたことで、地元同業他社から猛反発を受け、今まで築き上げてきたものを大きく失うことになった。地域の様々な組織のトップが目前であったが全てを失うことになった。しかし、そのような苦痛やショックを味わった中でも、一切の口出しをしなかった。
古参社員を味方にするのは全てが結果である
一方、社長自身も事業継承後は自社の古参社員との間の軋轢の中で戦っていた。新たな事業や方針に対して全て否定する社員がいた。しかし、軽自動車事業を始める際に、社長自身もセミナーやモデル企業から学び、新たな取り組みを進めた。企画段階では否定していた社員でも、イベントやフェアなどを実施し、お客様が大量に来店されるようになったことで、実績に繋がった。そのタイミングで古参社員からの反発や社員と社長との摩擦は無くなったという。やはり後継者が示さなければいけないものは結果だと社長は言う。そういう姿をお互いに見ることで、強い気持ちで共に経営が出来たそうである。
会長・社長ともに大きな敵と戦い、お互いにお互いの背中を見せ合うことで、信頼を深めていったそうだ。事業継承直後に先代が口出しをする会社をよく見るが、この口出しをしない覚悟と結果を残す覚悟は非常に大事だろう。
次は、この会長・社長の関係性について、事例を踏まえてお伝えする。