前回は、人間だからこそなし得る「あたたかい」「気の利いた」サービスが、ロボットの台頭により価値を増すという考え方を述べた。少し話が脱線してしまったので、今回は完全自動運転車両の新たな価値である「エンターテイメント性」について掘り下げる。
最近巷では、完全自動運転は、従来の自動車が持つ大きな価値である、「運転する楽しさ」、いわば「エンターテイメント性」を奪って楽しくない乗り物を作るという考え方が聞かれるようになった。確かに自動車は単に移動の手段ではなく、運転手に機械を操る楽しさを与える。この価値は車を所有する者に、休日に地方へ足を伸ばさせる動機の一つになっている。一方で人間の運転は事故や渋滞を生み出し、慢性的な社会問題となっていることも目を背けようのない事実である。
完全自動運転は運転する必要がない。また、将来的には人間の運転手と同様に、あらゆるところに移動でき、かつ人間の運転手よりもはるかに安全な運転ができるようになるだろう。そうなれば、運転以外のことをとことん楽しむことのできる空間になり得る。例えば究極の没入感を体験できる映画館としたり、友達と盛り上がるカラオケボックスのように使うこともできるだろう。これまでは運転することを前提とした空間の中で工夫して楽しんでいた、こうしたエンターテイメントも、完全自動運転車両では移動空間における究極を目指すことができる。
あるいは、敢えて完全自動運転化したスポーツカーを用意すれば、サーキットなどでは、完全自動運転による限界走行を楽しむことができるかもしれない。自動
運転の技術は発展すれば、人間が運転した記録を精密に再生する機能を実現する可能性もある。例えば有名なプロドライバーの運転を体験できるスポーツカーがあれば、エンターテイメントとしての価値がある。
どうしても運転がしたいという人には、運転というエンターテイメントを安全に楽しむ機能を実現することもできるだろう。人間の運転よりもはるかに安全な運転能力を手にした自動運転は、安全余裕を見た上で、人間の運転を許容できるようになるかもしれない。こうなれば、事故を気にすることなく、運転というエンターテイメントを楽しむことができるようになるだろう。
筆者としては、完全自動運転になることで、新たなエンターテイメントが生まれて、よりユーザーを楽しませてくれるものだと思っている。