自動運転の経済性
前回までは完全自動運転車両は「居住性」に価値を持つ車両になることを説明した。これは一番代表的な価値ではあるが、他の価値はあるのだろうか?
おそらく完全自動運転車両の新たな価値については、完全自動運転車両を普段の生活の一部として当たり前に触れるようになる若い世代が、我々の思いもつかないような価値を生み出して行くことだろう。
しかしながら、強いて現時点で完全自動運転車両の価値を想定するならば、「経済性」と「エンターテイメント性」があるように思う。
「経済性」は「居住性」と対をなす価値となる。居住性をある程度犠牲にしても良いので、より安く移動できれ
ば良い、という考え方を持つ人は将来的には多く出てくるだろう。公共交通機関やカーシェアのようなものは、まさに「経済性」を考慮した乗り物の利用形態であるが、こうした「経済性」重視の利用形態にも完全自動運転は良い効果をもたらす。現在の公共交通機関の費用のうち6割から8割の費用が、運転手を主とした人件費であると言われる。また、現在の日本において特に地方の公共交通機関では、運転手となる人材の確保に悩んでいる地域が増えてきていると言われている。これは、現在の公共交通網のさらなる弱体化につながり、さらに利用が減るという悪循環を生む危険性がある。
そうした中で、完全自動運転の技術を用いて、バスやタクシーといった公共交通機関の車両を運転手なしで運行可能とすれば、上記のような問題を一挙に解決に導くことができる。現在需要があるにもかかわらず、人材不足のために公共交通網が強化できないような地域に完全自動運転が不足を補う形で導入されれば、「経済性」の高い公共交通機関が利用しやすくなることで、結果として「経済性」重視の価値観を持つ人もメリットを受けることができる。
また、そもそも運転手なしで運行できるということは、公共交通機関の費用の多くを占める人件費の大幅な節約につながるため、現在公共交通網が十分に維持されているような地域においても、運賃が下がることで、「経済性」の価値を引き出すことができる。
ちなみにこうした議論をする場合、ロボットが人間の雇用機会を減らしてしまうという問題も併せて説明する必要があるだろう。筆者の考えでは、自動運転の導入による運転手の雇用への影響については、当面の間は影響しないと考えている。これについては、次回に詳しく話をしたい。