完全自動運転は現代版「どこでもドア」
完全自動運転が実現されれば、自動車の客室の空間設計は、劇的に自由度を増す可能性を秘めている。
ただし、完全自動運転の普及の黎明期においては、バスやトラックといった大量輸送の自動車運送事業への適用から進むことが予想される。これらの車両は現在もかなり運転のしやすさよりも輸送の効率化を優先された設計となっているので、大きな構造の変化は伴わないかもしれない。これらの業種は、車両の構造の変化よりも、省人性の方が注目されると思われる。上記については、今後改めて詳細を論じる。
居住性の追求でクルマの形態は多様化へ
完全自動運転の省人性以外の価値が発揮され始めるのは、普及の成長期以降である。この時代は、完全自動運転車両を使う人のニーズによって、車の形は多様化する可能性がある。
これまでのように、自動車における運転する楽しみは完全自動運転においては無くなるのだから、今まで助手席や後部座席に座っている人がしてきたことを、よりしやすくすることが求められることだろう。助手席や後部座席に座っている人は、スマホを操作したり、おしゃべりをしたり、映画やテレビを見たりすることが多いのではないだろうか?こうした行動から見えることは、例えば自宅、カフェ、レストラン、映画館といった生活空間の一部が乗り物の中に存在すること、すなわち「居住性」が重要となるということである。それぞれのやりたいことに集中できる、あるいはリラックスして取り組める空間、いわば移動する「ワンルーム」「レストラン」「ホテル」「シアター」などを実現する空間設計がなされることだろう。
少し横道にそれるが、完全自動運転車両において究極の「居住性」の先には現代版「どこでもドア」の実現があると筆者は考えている。ここでいう「どこでもドア」とは漫画ドラえもんの中で登場する有名な道具の一つである。「どこでもドア」を抜けると、任意の目的地に移動できるものであり、移動時間がゼロ秒という、究極の移動手段である。現代の自動車は、運転をすることに最適化された空間に、数分から数時間拘束されることとなるわけだが、完全自動運転車両において究極の「居住性」を手に入れれば、普段の生活の延長線上を過ごすことになり、移動を感じることは無くなる。完全自動運転車両に乗り込み、普段の生活をして、再びドアを開ければ、そこは目的地。これはもうほとんど「どこでもドア」と言えるのではないだろうか。