自動運転が業界を変える
自動運転は突発的なものではない
皆さんは「自動運転」と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか。「運転をしなくても良い夢のようなクルマ」と評する人もいれば、「運転する楽しみを奪うつまらないクルマ」と評する人もいるだろう。またこの自動運転という技術は、期待をもって受け入れる人もいれば、何か得体の知れない奇妙な技術として、不安や心配をもつ人もいる。ただ、いずれにせよ、今やとても多くの人が自動運転に対して何らかの印象を持っているということは、それだけ人類にとって大きな力を秘めた技術であるのは間違いないであろう。
自動運転という技術は最近になって広く取り沙汰されてはいるが、歴史を振り返ると実は思いの外、古くから研究開発がなされている。なんと、第二次世界大戦初期の1939年には自動運転という考え方が芽生え、1950年台には、自動車は、試験路内ではあるものの、自動運転によって走行を始めているのである。
また、自動運転の技術の一部は、運転支援システムと名を変えて、現在の自動車にも既に導入されている。皆さんの多くは、自動運転の一部を既に利用しているのである。
このように、現在の自動運転は、印象のみが独り歩きしており、実は技術そのものの中身についてはあまり理解されていない。自動運転技術は、突然発明されたものでは決してなく、これまでの技術開発の連続的な発展上に存在する。このことを正しく理解することで、過度な期待や過大な不安を持つことなく、移動のための一手段として浸透するだろう。
既存メーカーの優位が揺らぐ
また、自動運転の可能性の大きさについても、ぼんやりとした印象のみで語られることが多い。自動運転が実現すると、自動車産業の既存のイニシアティブの多くは通用しなくなる。センスのよい自動運転を用いた移動サービスを描ける会社こそが、自動車産業のトップに君臨し、そこが描いたビジョンに合わせて既存の自動車メーカーが車両を開発するような、そんな世界が出来上がる可能性がある。
自動車大国である日本は、特にこの危機を深刻に受け止めなければいけない。何もこれはカーメーカーに限った話ではなく、自動車を利用する全ての業界に変化を求めることになる。日本でもこうした企業を早いうちから育てて、自動運転の持つ真のニーズを見極め、自社の強みを磨いていかなければいけない。
人類とロボットの共生社会へ
さらに巨視的な観点でいえば、自動運転技術の実用化の成功は、人類とロボットの共生社会の第一歩という、人類発展のカギも握っている。自動運転は単にビジネスへの影響のみならず、人類の文化にも影響を及ぼす可能性があるのである。
著者はこうした自動運転の影響力の大きさに惹かれ、2004年、まだ自動運転が社会から全く注目を受けない時代から研究開発に没頭してきた。本連載では、自動運転に10年以上前から取り組む中で得られた視点をもとに、自動運転の可能性や将来予測について、自動運転の歴史などを踏まえながら系統的に述べて、自動運転の深淵に迫りたいと思う。
小木津武樹(おぎつ たけき)
慶應技術大学大学院政策・メディア研究所にて修士課程、後期修士課程を修了。博士(学術)。東京理科大学理工学部機械工学科助教、群馬大学大学院理工学府助教を経て、同准教授兼群馬大学次世代モビリティ社会実装研究センター副センター長に。著書に「「自動運転」革命 ロボットカーは実現できるか?」(日本評論社)がある。